一日一美。

日常にひそむ美しいものを見いだして、残していきたい。一日一美。一日一興。一日一驚。

あつき名や天竺牡丹日でり草/子規

あつき名や天竺牡丹日でり草

 

正岡子規

 

今年の夏は、梅雨明けした後も湿度が高く、すごしづらい夏です。

 

差して来る陽に痛みすら感じながら、

昼日中に庭の伸びすぎた花を剪る。

 

紅と白のポンポン、千日紅

鮮やかな黄色、女郎花

桃色をうちに秘めた下野草

純白の天竺牡丹、ダリア

 

夏の花

鮮やかな色

暑苦しいくらいの華やかさが、

外の光のせいで暗く見える板の間に広がる。

 

小さな花束にすると、

後には点々と黄色い星が散っていました。

女郎花はこぼれやすい花なのです。

 

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2017.07撮影

 

ある庭で

飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花/一葉

飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花

 

樋口一葉

 

奈良の大和文華館を訪ねました。

 

人気のない静かな緑の道を

ゆったりと上がっていくと

白砂となまこ塀の白が目に眩しい美術館にたどりつきます。

 

2017年7月7日~8月20日は「宴の器」展を開催しています。

 

「宴の器」展も堪能しましたが、

この美術館のみどころは

展示室のなかにそびえる青い竹の一群でしょう。

 

そして、庭。

建物の左手から後ろへぐるりと回るのは「あじさいの小径」。

あじさいがささやきかけるように切れ目なく続きます。

訪れる人の少ない美術館なので、庭を独り占め。

 

小径を登りきると紫陽花の茂みは切れ、

池を臨む形になります。

この池は菅原池(通称「蛙股池」)といい、日本最古のダムと言われています。

千年の時を超えて思いを馳せてしまいます。

 

庭には、梅の小径や枝垂桜、芙蓉、柘榴などがあり、

四季折々の風情が愉しめる美術館です。

 

冒頭の歌は樋口一葉が詠んでいます。

奈良なので、飛鳥川の入っているこの歌にしました。

紫陽花は土の成分によって色が変わるので、移り気や心変わりの象徴とされることもあります。

この歌は、「明日は知らないけれど―――」が微かな決断を表しているようで、私は好きです。

 

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2017.07.09撮影

奈良県 大和文華館 「あじさいの小径」

けふくれば麻の立枝に木綿かけて夏みな月のはらへをぞずる 【夏越の祓】

けふくれば麻の立枝に木綿かけて夏みな月のはらへをぞずる 

 

【藤原季通朝臣】 #詞華 

 

※木綿(ゆふ)

 

六月尽もまぢか。

夏越の祓の茅の輪が、神社にしつらえられるようになりました。

夏越の祓は、半年に一度の厄落としのひとつ。

茅の輪がかかげられると、「ああ、ほんまに夏やなあ……」と、

過ぎ去った季節への惜別の念に胸が少し痛みます。

 

夏越の祓の歌は、他に以下のようなものなど。

 

水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶといふなり

【詠み人知らず・拾遺集

 

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける

藤原家隆上賀茂神社の「奈良の小川」の六月祓の行事を詠んでいる】

 

医学の発達していない時代は、

半年を無事に乗り越えることも有り難いことであったでしょうね。

 

 

もう夏ですね。

 

 

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2017.06.25撮影

岡崎神社

ここの御守はウサギの「飛翔守」で、可愛らしいのです。

小さな茅の輪も購入できます。

お好きな方には良いお土産になりますよね(´ー`)

 

夏は、夜。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる―――

夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。

 

清少納言枕草子

 

 

もう、疎水の螢はほとんど終わっているのか、

わずかな輝きがときおり弱く光るだけだった。

 

今年の六月は雨が少なくて、疎水の水も底をつきそうな風情。

乾いた岸壁が寄る辺ない。

 

涼を求めて、水を求めて、螢を求めて、八瀬まで足を伸ばした。

橋へ踏み出すと、闇の中で豊かな水の流れる音が辺りの音を消していく。

 

豊かな闇。

そこここに気配がする闇。

水気に満ちた空気が、肺に満ちてくる。

 

目を凝らすと、

いっそう闇が濃くなるあたり、躑躅の大木が川に枝垂れているあたり、

螢がふたつ、みっつ、ほのかにうち光りていくのが遠く見えて。

 

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2017.06.16撮影

叡山電鉄八瀬駅周辺

 

暗闇の中で数匹を撮るのは難しい……

残像が美しかったので載せました。

 

それにしても、自分の言葉も感性も、古典のうえになりたっているのを痛感する。

「夏は夜」という感性が絶対的に自分に沁みこんでいることに、そら恐ろしくなる。

 

 

 

照柿

 JR京都駅。

 

階段を上がって、ふと開けた空間で、

剥き出しの鉄骨の向こうに、

いままさに輝きを増さんとする夕陽が

目に飛び込んできました。

 

金属の鉄骨が黒い影になって、

却って夕陽の赤さをぎらぎらと引き立ているようです。

 

これはなんだったか……

 

照柿だ、と思いました。

 

実際の照柿の色とは違います。

 

高村薫氏の「照柿」です。

 

どろどろしているのに、

救いなんてないのに、

暗さから逃れられないのに、

ずきずきするようでありながら投げやりな性愛に彩られていて、

登場人物たちは諦念と投げやりと悟りを体現しているようでもあり、

一瞬烈しく輝く夕陽のようでもあり。

 

高校生のときに、勉強もせずに読んでいました。

 

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2017.06.13撮影

JR京都駅

左手奥に見えるのは伊勢丹百貨店の大階段

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイディ・フォルトゥナの意のままにならないのは、たった一つ、あなたの振る舞いだけだ」

 

「レイディ・フォルトゥナの意のままにならないのは、たった一つ、あなたの振る舞いだけだ。幸運を祈る。」

 

ナシーム・ニコラス・タレブの”Fooled by Randomness"(日本語タイトル「まぐれ」)のエピローグの手前、第14章の結びの言葉である。

 

この一節にたどり着いたとき、お風呂でしばらく泣いた。

ブラック・スワンー不確実性とリスクの本質」を読んだときと同じ、悲哀とも諦念とも救いとも言えるような、全てが混じり合ったような感慨に打たれて。

 

わたしたちの運命を決定しているのは、因果よりも偶然の要素の方がずっと大きい。

努力してもすべては無駄に終わるかもしれないのだ。

そして、基本的に私たちの脳は、偶然を受け容れられないで、因果を見出だそうとしてしまう。

 

酷い目に遭っても、運命の女神の意のままにならないようにできるのは、ただ自分の振る舞い―――尊厳ある振舞いだけである。

その一点だけは、「有能な脳」を持たない人間に残された砦なのであるという事実が、恩寵である。

 

「偶然は、因果よりも基本的な概念である」と「ブラック・スワンー不確実性とリスクの本質」で述べているN.N.タレブは、こんな救いの言葉も言っている。

 

「地球の10億倍の大きさの惑星があって、その近くに塵が1粒漂っている。あなたが生まれるオッズは、塵の方だ。

だから、小さいことでクヨクヨするのはやめよう。
贈り物にお城を貰っておいて、風呂場のカビを気にするような恩知らずになってはいけない。」

 

この本を勧めてくれた本好きの方に感謝します。

 

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2017.05.17撮影

緊急停車した新幹線車内から

なほ生きむわれのいのちの薄き濃き強ひてなげかじあぢさゐのはな

なほ生きむわれのいのちの薄き濃き強ひてなげかじあぢさゐのはな

 

【齋藤史】 #詞華

 

まだ盛りとは言えぬ六月初旬のあじさい園。

足を踏み入れるだけで、胸の中までひんやりとした緑に染まりそうな気がする。

 

紫陽花の茂みを縫って進むと、

次々とあらわれるさまざまな色の紫陽花たち。

 

ひとつの紫陽花の茂みが切れたと思ったら、

突如としてあらわれる違う色の紫陽花。

 

まだ満開でない紫陽花は、まだ緑を深く帯びてひんやりとしている。

 

 

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紫陽花「四季咲きヒメアジサイ

 

ユキノシタ科の落葉低木。

花弁状の萼(がく)片を四~五枚もつ小さな花が集まり咲く。

がく片は淡青紫色だが、土質、開花後の日数等により濃淡もしくは赤みを強める。

 

「四季咲き」とは、6月から12月の霜が降りるまで咲き続ける品種のことだそう。

すごいですね。。

 

2017.06.04撮影

京都府立植物園