けふくれば麻の立枝に木綿かけて夏みな月のはらへをぞずる 【夏越の祓】
けふくれば麻の立枝に木綿かけて夏みな月のはらへをぞずる
【藤原季通朝臣】 #詞華
※木綿(ゆふ)
六月尽もまぢか。
夏越の祓の茅の輪が、神社にしつらえられるようになりました。
夏越の祓は、半年に一度の厄落としのひとつ。
茅の輪がかかげられると、「ああ、ほんまに夏やなあ……」と、
過ぎ去った季節への惜別の念に胸が少し痛みます。
夏越の祓の歌は、他に以下のようなものなど。
水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶといふなり
【詠み人知らず・拾遺集】
風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける
【藤原家隆(上賀茂神社の「奈良の小川」の六月祓の行事を詠んでいる】
医学の発達していない時代は、
半年を無事に乗り越えることも有り難いことであったでしょうね。
もう夏ですね。
2017.06.25撮影
岡崎神社
ここの御守はウサギの「飛翔守」で、可愛らしいのです。
小さな茅の輪も購入できます。
お好きな方には良いお土産になりますよね(´ー`)
夏は、夜。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる―――
夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
もう、疎水の螢はほとんど終わっているのか、
わずかな輝きがときおり弱く光るだけだった。
今年の六月は雨が少なくて、疎水の水も底をつきそうな風情。
乾いた岸壁が寄る辺ない。
涼を求めて、水を求めて、螢を求めて、八瀬まで足を伸ばした。
橋へ踏み出すと、闇の中で豊かな水の流れる音が辺りの音を消していく。
豊かな闇。
そこここに気配がする闇。
水気に満ちた空気が、肺に満ちてくる。
目を凝らすと、
いっそう闇が濃くなるあたり、躑躅の大木が川に枝垂れているあたり、
螢がふたつ、みっつ、ほのかにうち光りていくのが遠く見えて。
2017.06.16撮影
叡山電鉄八瀬駅周辺
暗闇の中で数匹を撮るのは難しい……
残像が美しかったので載せました。
それにしても、自分の言葉も感性も、古典のうえになりたっているのを痛感する。
「夏は夜」という感性が絶対的に自分に沁みこんでいることに、そら恐ろしくなる。
照柿
JR京都駅。
階段を上がって、ふと開けた空間で、
剥き出しの鉄骨の向こうに、
いままさに輝きを増さんとする夕陽が
目に飛び込んできました。
金属の鉄骨が黒い影になって、
却って夕陽の赤さをぎらぎらと引き立ているようです。
これはなんだったか……
照柿だ、と思いました。
実際の照柿の色とは違います。
高村薫氏の「照柿」です。
どろどろしているのに、
救いなんてないのに、
暗さから逃れられないのに、
ずきずきするようでありながら投げやりな性愛に彩られていて、
登場人物たちは諦念と投げやりと悟りを体現しているようでもあり、
一瞬烈しく輝く夕陽のようでもあり。
高校生のときに、勉強もせずに読んでいました。
2017.06.13撮影
JR京都駅
左手奥に見えるのは伊勢丹百貨店の大階段
「レイディ・フォルトゥナの意のままにならないのは、たった一つ、あなたの振る舞いだけだ」
「レイディ・フォルトゥナの意のままにならないのは、たった一つ、あなたの振る舞いだけだ。幸運を祈る。」
ナシーム・ニコラス・タレブの”Fooled by Randomness"(日本語タイトル「まぐれ」)のエピローグの手前、第14章の結びの言葉である。
この一節にたどり着いたとき、お風呂でしばらく泣いた。
「ブラック・スワンー不確実性とリスクの本質」を読んだときと同じ、悲哀とも諦念とも救いとも言えるような、全てが混じり合ったような感慨に打たれて。
わたしたちの運命を決定しているのは、因果よりも偶然の要素の方がずっと大きい。
努力してもすべては無駄に終わるかもしれないのだ。
そして、基本的に私たちの脳は、偶然を受け容れられないで、因果を見出だそうとしてしまう。
酷い目に遭っても、運命の女神の意のままにならないようにできるのは、ただ自分の振る舞い―――尊厳ある振舞いだけである。
その一点だけは、「有能な脳」を持たない人間に残された砦なのであるという事実が、恩寵である。
「偶然は、因果よりも基本的な概念である」と「ブラック・スワンー不確実性とリスクの本質」で述べているN.N.タレブは、こんな救いの言葉も言っている。
「地球の10億倍の大きさの惑星があって、その近くに塵が1粒漂っている。あなたが生まれるオッズは、塵の方だ。
この本を勧めてくれた本好きの方に感謝します。
2017.05.17撮影
緊急停車した新幹線車内から
なほ生きむわれのいのちの薄き濃き強ひてなげかじあぢさゐのはな
なほ生きむわれのいのちの薄き濃き強ひてなげかじあぢさゐのはな
【齋藤史】 #詞華
まだ盛りとは言えぬ六月初旬のあじさい園。
足を踏み入れるだけで、胸の中までひんやりとした緑に染まりそうな気がする。
紫陽花の茂みを縫って進むと、
次々とあらわれるさまざまな色の紫陽花たち。
ひとつの紫陽花の茂みが切れたと思ったら、
突如としてあらわれる違う色の紫陽花。
まだ満開でない紫陽花は、まだ緑を深く帯びてひんやりとしている。
紫陽花「四季咲きヒメアジサイ」
ユキノシタ科の落葉低木。
花弁状の萼(がく)片を四~五枚もつ小さな花が集まり咲く。
がく片は淡青紫色だが、土質、開花後の日数等により濃淡もしくは赤みを強める。
「四季咲き」とは、6月から12月の霜が降りるまで咲き続ける品種のことだそう。
すごいですね。。
2017.06.04撮影
まるで金平糖、まるで星型の砂糖菓子、まるでアポロチョコ
なんとか間に合ったカルミア。
この世でもっとも可愛い花。
晩春から初夏に小さな星型の花をびっしりとつけます。
蕾が膨らんでくると、
まるでクリームを絞ったお菓子、
まるで金平糖、
まるでホワイトチョコレートでできたアポロチョコ……
木いっぱいになっています。
蕾が開きはじめると、
こんどは小さなラッパが
めいっぱい音を響かせようと
ところ狭しと押し合いへし合い……。
本当に可愛い花。
ですが、猛毒。
カルミア・ラティフォリア
ツツジ科
北米東部原産
2017.06.04撮影
ほぼ終わりかけで、南面している個体はわずかに花が残る程度。北面している個体(南側は大きな木により影になる)に何とか花が残る程度。
ゆふぐれの泰山木の白花は われのなげきをおほふがごとし
ゆふぐれの泰山木の白花は われのなげきをおほふがごとし